東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

【映画】いまを生きる(DEAD POETS SOCIETY) 感想

米国名門パブリックスクールが舞台の青春映画。   

素直に感動することができずもやもや感の残る映画だった。数年後に観たら全く違う感想を抱いていそう、というか抱いていて欲しい。いまを生きることの魅力に気づくことと、それとともに訪れる順応を巡る葛藤は普遍的なものなのかなと思った。   

キーティングが去る時に、教室の全員が立ったわけではないのがよかった。俯いていた生徒たちは一体何を思っていたのだろう? 順応を教え込まれることと、詩的な自己表現を徹底されること、どちらにしろ大きな方針と馴染まない人間は必ずいて、どちらが不気味で抑圧的なのかわからなくはないか?庭を歩き回る授業や内気な生徒に自己表現を迫る授業に「気味が悪い」と思うことと、詰め込み授業に「くだらない」と思うことは非対称なのか?  

このような煮え切らなさを感じさせるのは、物語の舞台が「学校」であるからであろう。 

映画をつくっている人たちは、「詩」を愛する「自由思想家」で、詩的なものを讃える声が作品の背後から聞こえるような気がする。その一方で、礼賛しっぱなしでは終わらないところがよかった。

だからこそ感動しきれないわけだが、今の、目の前に広がる順応しないと生きていけなさそうな道への恐怖心と不安で自由思想家の生き方に少し懐疑心を抱かざるを得ない心情にも寄り添ってくれる。  

 結局何が正しいのかわからない。青臭い相対主義からはまだ抜け出せないようだ。詩的なものと順応は両立すると信じたいことだけは確かだ。彼らが辿るであろう道を自分も一緒に歩んでいくしかない。

祭りの後

心に渦巻く問題を、見て見ぬ振りをする習慣がついてきた。切実だから真正面から向き合うのは苦しいし、忘れないと日常生活を上手くこなせない。何より、他の人たちがこんな「青臭い」問題に手を煩わせずにすらっと生きているように見えるから、向き合うこと自体が痛々しく思える。でもきっと、わたしに見えないだけで、あの人も、あの子も、みんな実存に関わる問題を抱えていて、自分なりに対処しながら生きているはずだとも思う。


少し前までのわたしは、頭や感覚を鮮明にして、自分や実感を表現する仕方を手に入れようともがいていた。なのに、今はどうか?適応のために努力しようと言いながら、楽なものに逃げて、ぼんやりしているだけではないか?そんな風に適応したって、生きている実感は得られない。孤独や虚しさに蝕まれるだけだ。


ふとしたときに、身体に染み付いた受動性に気づいて悲しくなる。けれど、何かを言い切ってしまうのは怖い。

【映画】ぼくたちのチーム (原題:Handsome Devil)

アンドリュー・スコットのことをネットで調べてて見つけて、観た。なかなかよい。アンドリュー先生も、主人公2人も、よい。この映画のテーマの友情(とかセクシュアリティ)については書けないから置いておく。 アイルランドの映画なのだけど、芸術vsスポ根っていうアメリカの学園ドラマでよく見る構図が展開されていて、その点は既視感たっぷり。でも、私が見たことがあるのはgleeとハイスクールミュージカルというコメディタッチが強いものだったので、ちょっと毛色の違う「ぼくたちのチーム」でも同じように文化系vsスポーツ系の構図が描かれているのを見てちょっと意外だった。 

その対立で描かれる「イメージに合わないことはしてはならない」っていう同調圧力あるいは「男らしさ」からの解放と、それとともにアイデンティティを確立していく、みたいなテーマは、日本の学園系映画とかドラマではまだ出会ったことがない。私が知っている日本の学校だとそこまで部活によるスクールカーストが露骨でないから、なかなか現実味を持って想像しづらいのだけど、フィクションゆえの誇張はあるにしても、その文化の人たちにとっては身近な問題なのだろう。日本の学校の息苦しさとはちょっと違うだろうけれど、それはそれでしんどそうだな、と思う。実際の高校ってどんな感じなのかな。  

話は変わるけど、これからの子どものために、「陰キャラ」「ネガティブ」はよくないと短絡的に決めてしまう風潮が減ってほしいので、それ系のメッセージが込められたドラマが日本でヒットしてほしいな。「ネガティブな人には近づくな」言説とかあるけど、もうちょいましな言い方あるだろうに。

【映画】17歳の肖像(An Education)

これまた今見て正解の映画でしたね。勉強しなきゃと思えました。キャリーマリガンかわいい、服が素敵。映画についてはとりあえずこのくらいにしとこう笑。んで、例のごとく恥ずかしい自分語りしまふ(`・ω・´)

私は21世紀の日本で育って、親も厳しくなくて、ジェニーみたいな「利発で美人」な子とは程遠かったけれど、「どこか遠くへ行きたい」という気持ちはずっと持っていた。ジェニーがフランスに憧れるのと似た感じで(おこがましいか)東京に憧れて、東京に行く手段として勉強ばかりしていたわけだけれど、東京に来ても自信がない冴えない内気な「女の子」のままで、その先どうなりたいかを見つけられていない。(というわけで、今めっちゃカモになりやすいです。けど幸い今のところ誰もカモろうとしてこないですね笑。まぁカモにするような価値もなさそうなんでしょう←こういうところが良くないと思う)

このように、違う国の違う時代の「女の子」にも共感できるような、青春時代の(ミドルクラスの、と入れたほうがいいのかもしれない)女の子に普遍的な感情を描いているから、この映画はすごいのだろう。自分のことを「女の子」ではない言葉で表現できるようになった時にもう一度観たい。別にそれは「〇〇な女性」とは限らなくていいけれど年齢的に成人しても今はまだ「女の子」と表現します。人に言われるとちょっと気持ち悪いけど。

原題の「An Education」の意味は、失敗からの学びと、当時のイギリスの女性にとっての学という2つの意味で捉えた。

なんとなく退屈な日々に今も「ここではないどこか」を目指したくなるけれど、行動と心持ちを変えない限りどこへ行っても同じように退屈で、冴えない自分に文句を言っているだけ。現状は受け入れ、今の積み重ねとしての未来を引き受ける。どこにも理想の場所などなくって、今目の前の人や事に誠実に向き合い続けたいのに、なかなかできていない。

痛々しさは今のうちに存分に発揮して、あとから振り返って死にたくなりましょう!今が堂々と痛々しくいられるチャンスだゾ!中二病満喫しよう!

【ミュージカル】I'll cover you

来年8月にRent再来日するそうな!わーい!


もうRentは人生の一部分になった感じですけど、I'll cover you、ほんと最高だな、と最近ある歌詞に(今さら)気づいて思ったという話。

With a thousand sweet kisses

If you're cold and you're lonely

If you've got one nickel only


With a thousand sweet kisses

When you're worn out and tired

When your heart has expired


ザ・無償の愛って感じしませんか。エンジェルとコリンズの関係がこのフレーズに現れていると思います。ほんと好きです()


2017日本版Rentも見てきました〜〜ダブルキャストも全員見られたんだけど、ミミさん2人(青野紗穂さんとジェニファーさん)に惚れました。かわいいしかっこいいです。あとジョアンヌの宮本美希さんも圧倒的歌唱力やばかったです。平間さんのエンジェルももういっかい見たかったな〜〜丘山さんは1回目だしぜひ次回も出てほしい

俳優さん個人目当てでミュージカル見に行く気持ちがちょっとわかりました。実際隣のユナクさんファンの方と話しました。そして、作品ファンとしては圧倒的ミュージカル俳優層の厚さでよい作品には出演者の知名度関係なく人が集まるNYとかの環境がちょっと羨ましいなーと思ったり。帰りに「何でこんな自業自得で愚かな若者が苦しんでるだけのストーリーにファンが付くの?」みたいなこと言ってる声が聞こえたけれど、確かに冷静にストーリー追うとバカバカしいのはわかります笑。ただ、一旦衝撃受けて感染してしまうと離れられなくなるんすよ。

電車が好き

電車が通り過ぎるのを眺めるのが好きだ。特にカーブしながら駅を通過していくのが。直線の組み合わせが少し離れただけで綺麗なカーブに見えるのがたまらない。


視覚的な美しさとは別に、電車が好きな一つの理由は、地元に住んでいたときに、どこか遠くへ連れて行ってくれるという希望を託していたことや、それに伴っていた都会への憧れを思い出すからだと思っている。山手線は特に、家族で旅行に来て親の背中について行ったときのわくわく感、渋谷から原宿まで切符を買って乗った修学旅行のときの楽しい緊張感、引っ越してからの自分が東京に住んで日常生活の足として山手線に乗っていることが信じられない気持ちなど、節目節目の思いが詰まっていて、今でもホームに立つとなんとなくそわそわした気分になる。でも、自分が東京に住んでいることへの違和感がいつのまにかなくなったことに気づいた今、既に少しずつそんな気持ちも薄れてきている気がしていて、それが完全に消えてしまったとき、私はそれでも電車が好きなのだろうか、自信がない。子どもの頃の原風景のような感慨は忘れてしまっても、代わりに今の生活の思い出とともに、山手線とは別の路線や駅がしみじみと懐かしく思えるようになるのかもしれない。それはそれでいいな。


とにかく、ホームから眺める電車の曲線美は最高だ。

アイデンティティと大学生

発達心理学において、大学生はアイデンティティを模索し、確立へと近づけていく時期とされている。自意識のあり方や将来への意識、そして困っていることや気がかりなことなど、去年の秋以来の私のもやもやの大部分はアイデンティティを確かなものにする過程にありがちなしんどさなのだろう。


去年の夏に新たな自我のようなものを発見してから、世界は大きく変わった。「自分」というものの輪郭がはっきりし、今までにない解放感と将来への希望に胸をときめかせた。いいことかと思いきや、自分を特別だと思いたい過剰な自意識と時折訪れる万能感、それに対する自己憐憫と感情に従った結果の怠け癖。憂鬱に浸り努力ができないことに特別な理由を探していた。


今がまた正念場である。現実に向き合い、自分の生に対する責任を負う覚悟を決め、一歩ずつ道を歩んでいかなくてはならない。


もう少し具体的には、進路を絞り実現するための長期計画を立て、その時々の感情に左右されず継続してやるべきことをこなしていけるような仕組みをつくる。感情に左右されないで行動を続けるために、現実的で建設的な考え方を訓練する。


やるぞ。これが去年の夏みたいにハイになった結果でなければいいけど…というような受動的な考え方ではなくて、秋に憂鬱になろうが太って外に出たくなくなろうが、とにかく動き続けられるような仕組みを少しずつ作り上げていこう。少し前までこだわっていた思考力や倫理観より、現実に適切に対処するスキルの方がよっぽど大切に今は思える。けれど、生きるに当たって大事にしたい価値みたいなものはスキルを磨くだけでは一部しか見つけられないだろうから、行動しながら考えるのが大事。


これからこのブログでは動いた結果気づいたこと、試してみたいことを記録していこうかな。新たな痛々しさを開拓しよう!


はい、ブログによる現実逃避終わり。明日の準備してさっさと寝るぞ。