意見を言うのが苦手なことについて
学校とわたし①
最近、不登校の子どもや、学校外の教育に関わることが多くなった。よく、どうして不登校に興味を持ったのか?と聞かれ、いつも弟が不登校になったのがきっかけで、というとなんとなく納得してもらえるが、うまく説明できていないだけで、自分の中にも種がある。
中学校からなんとなくずっと学校が嫌いだった。部活に仲の良い友達がいて居場所があって楽しかったから、そして勉強が得意で強みを発揮できたから、高校を卒業するまで6年間、通い続けることができたのだと思う。大学に入っていろいろな人の話を聞きながら、わたしはかなり「適応」していたんだなあと、昔の自分に感心することがある。
弟は今では元気だが、学校に行けなくなった頃はかなりしんどそうだった。話を聞いていると、高校で弟が感じていた違和感と、わたしが感じていた違和感は似た種類のものだった。もちろん、苦痛度は違うけれど。 それに気づいたとき、違和感を持ちながら黙って高校に通い続けたのは、弟のような、同じような違和感を感じている人たちを苦しめることに加担していたのと同じなのではないかと思った。
あの違和感は、何なのか。なぜ、高校はたくさんの人たちを苦しめているのか。そんな問いが今のわたしとわたしの外を結ぶ接点となっている。
寂しさ
大学にも行かず、家で何をするわけでもなかった頃の、書かなければ、言葉にしなければ、わたしの内面はないことになってしまう、そんな危機感を懐かしく思う。あの頃のわたしは決して孤独ではなかった。それでも、どうしてもどこか決定的に寂しかった。
誰とも絶対にひとつにはなれない。ものすごく大切な人たちも、お互いに輪郭をもった人間で、その境界線を超えることは決してできない。それがきちんとわかっていくことで、寂しさとの付き合い方もうまくなっていくのかもしれない。
よくわからない
他人に興味なさそう
自分が人生の主人公だと思ってないよね
何考えてるのかわからなかった
怒らなさそうだよね
自分のことだという意識を持とうよ
人から言われた印象的な言葉を並べてみると、人から見たわたし、よくわからないんだろうなと思う。そして、人からみて、わたしがよくわからなくて人生に当事者意識がないような理由のひとつは、人と自分で考えて関わってこなかったからなのでは、と思った。
適切かどうかがわたしが行動を決めるときの大きな要素だけど、適切さに自分なりの基準があるわけではない。みんなの基準に合わせようとしている。人と関わるときもそう。でも、昔からそのみんなの適切さの基準が自分にはよく見えていないような気がしていて、探り探りで判断している。そのせいでどうしても消極的になるし、漠然とした不安がつきまとう。
20歳まではこの方針であたりさわりなく生きてきた。10歳の頃以来、家族以外の人と言い合いすらしたことがなかったし、トラブルに巻き込まれたこともない。それがあなたの良さだよ、と受け入れてもらってきたけれど、そろそろ方針転換をしたい。
ひとりの人と深く関わろうとするときには、みんなの基準に合わせる対応だけでは寂しいなと思ったから。ある人のためだけの関わり方をつくりたい、と強く思ったけれど、たぶん今までそうしようとしたことがなかったから、どうしたらいいのかわからなかった。
今も、大切な人たちと、みんなの基準だけを頼りに関わっているのではないかという不安がある。自分の基準で人と関わる方法を、誰か教えてほしいと思ってしまう。
だけど、もうわたしの外の基準はあてにしない。ひとつひとつの関係をわたしなりのやり方で大切に育てていく。めちゃくちゃでも仕方ないし、失敗して人を傷つけるかもしれない。それでも、責任を引き受けて、自分はどうするかというのを、精いっぱいの真心を込めて自分なりに考えて、つくっていきたい。
ありえないくらい楽
ここ数ヶ月で、今まで自分を苦しめてきたものが消えて、心がものすごく軽くなった。自分のことで精一杯だったのがやっと落ち着いて、他人や社会に意識を向ける準備が出来たという感じ。苦手なことはまだ苦手なままだけど、それで苦しむ代わりに別の策を取れるようになった。
何を書けばいいのかわからない。とりあえず私は今楽です。多分学生の間は今までと同じ質の苦しみは味わわなくて済むと思う。
何が変わったのかはわかっているようでわかっていない気もする。ふりかえればこの1年ちょっとの間にきっかけがたくさんあって、それが積み重なって今の楽さがあるんだと思う。
アパートメント
アパートメントというウェブマガジンが好きだ。ここに集っている書き手たちの文章を読むと、心のふにゃふにゃした部分がそのままの弱さで許されているような気がするのだ。
いつ訪れても、曖昧さを美しさとして認識できるようになれるような、懐の広い文章に出会える。偽りのない言葉で、何かをさらけ出している人たち。さらけ出すことを通して、彼らは読み手に何かを分け与えてくれる。その人のことを何にも知らなくても、深いところの断片を覗き見てしまえるという、いたずらをしている時のようなやわらかい背徳感のようなものが好きだ。
最近では、kumaさんの連載が大好きだった。とにかく、美しくて、あたたかくて、優しくて、はっとさせられる。昔から知っていたような知らなかったような、懐かしいような目新しいような、そんな曖昧ではっきりした感情が湧き上がって、何度も読み返したくなるような、そんな文章。
http://apartment-home.net/column/201710-201711/hk08-2/
「存在の祭りのなかへ」
『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子
わたしはこの本を読んで、苛立ちと怒りのようなものを覚えた。
それは何でだろう?としばらく気にかかっていて、作者のこのインタビューを読んでなんとなく答えが見えた。
https://sheishere.jp/interview/201709-miekokawakami/2/
なかったことになっていたはずのものを、明るみに引きずりだす。冬子はそういう作者の意思の成果としてわたしの目にとまるところに現れたようだ。
冬子にわたしは自分の一部を投影した。そしてわたしはその自分の一部がすごく嫌い。だからこんなに怒りや苛立ちを抱いた。なんで見ないようにしてたものを見せるの、って。そうやってひきずりだして、どうせ「みんな」と同じように責めたいだけなんでしょ?って。
冬子は多くを語らない。わたしの嫌いなわたしも多くを語らない。自分のこと、思ってること、感じてることを表現する言葉をまだ持っていない。ぎこちなくはあるけど、言葉を手に入れたのがこれを書いているわたし。わたしの嫌いなわたしは語らないままわたしの中に隠れていて、わたしがこの文章を書くのを黙って見つめている。
「語られないものは存在しないのと同じなのか」わたしの嫌いなわたしは、わたしにまで嫌われたまま、外に出ないで黙っている。わたしは存在しないのと同じなの?って怯えて寂しがっている。でも、確実にそこにいる。わたしには見えている。冬子に自分を投影するというやりかたで、言葉を持ったわたしの前に姿を現して、言葉を持った「強い」わたしに、怒りと苛立ちを置いていったから。
わたしは怒りでわたしの嫌いなわたしを守ろうとしたんじゃない。わたしが内面化している「みんな」という名の外からの目線、それが歪んでいることを知りながら、納得できず歪みを修正できないことへの苛立ちなのだ。
大丈夫、わたしの嫌いなわたしも、そこにいるの、わたしは知ってるよ。まだ時間はかかるけれど、あなたのことも愛せるように成長しよう。