東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

大学のコミュニティと『友だち幻想』

帰省して中高時代の友達と話していて思うのは、大学生が人間関係の基盤としているコミュニティには大きく分けて2種類あるということ。一つが、「濃いコミュニティ」。内部の人同士の交流が密でつながりが濃い、小さめの学部や学科を想像するとわかりやすい。高校までのクラスのように授業や実習でほぼ毎日顔を合わせる仲間がいて、数人のグループができて空きコマも一緒に過ごす、なんて光景がよくみられる。ともに時間を過ごす時間が長い分、気心の知れた深い人間関係が築かれやすい。一方で、合わない人とも距離を置くことが難しく、濃さが閉鎖性というネガティブな性質となって内部の人を苦しめる場合もある。


もう一つが、「淡いコミュニティ」。規模が大きい学校で、学科一つ一つも大きめで授業に出ても面識のない人がほとんど、という場合がこちらにあてはまる。定期的に顔を合わす人がいたとしても、それほど頻繁ではないので、積極的に人と関わる気がなければ誰とも話さずに一日を終える、なんてこともあり得る。基本は一人一人が独立しているというイメージで、授業を中心とした学校生活においては気が合う人とだけ仲良くするという姿勢で何の問題もなく生活できる。面倒くさい人間関係の問題は起こりづらいが、人に対する興味がある程度ないと悪く言えば孤独な生活に陥ってしまうこともある。

仮に「濃い」「淡い」の度合いが数直線のように表せるとしたら、私自身は「淡い」度合いがかなり高めのコミュニティ世界で生きているという認識だ。基本授業に一人で行って、友達がいれば隣で授業を受けることもあるけれど、空きコマはまた一人の時間。サークルに行けば友達はいるけれど、学校生活は一人で自由気ままな時間を謳歌している。過ごしている大学の環境自体は、クラス制度があり人によってはもう少し濃い目のコミュニティとして捉えられうるものである。あくまで私にとってはその環境が典型的な「淡いコミュニティ」として機能しているに過ぎない。

人と打ち解けるのに時間がかかり一人で過ごすのも嫌いではなく、人の目を気にしがちな私にとっては、一人でいることが自然な「淡いコミュニティ」の居心地は悪くない。でも、一年たっても自信をもって「友達」と言える人が数人にとどまっているのはもったいないという気がするので、半強制的に人と関わらざるを得ない「濃いコミュニティ」がうらやましい気持ちもある。というか、結局人と安定的な関係が築けないのは甘えであって、改善していくべきポイントなのだと思っている。(2016.1.5)

 

少し内容に付け足しをしておく。最近読んだちくまプリマ―新書、菅野仁『友だち幻想』が今の私をとりまくコミュニティを捉える上で面白い指摘にあふれていたのでそれらについて少し。

まずは「同調圧力」。筆者はこう説明している。

本当は幸せになるための「友だち」や「親しさ」のはずなのに、その存在が逆に自分を息苦しくしたり、相手も息苦しくなっていたりするような、妙な関係が生まれてしまうことがあるのです。

私はそれを「同調圧力」と呼んでいます。

【出典】『友だち幻想 人と人の〈つながり〉を考える』菅野仁、2008、p52

中高のクラスなどでよく見られる現象を言語化したもの。例えば、2008年初版のこの本では「メール即レス」の有無で人間関係を測るという現象が挙げられているが、今ならLINEを既読無視するかしないか、といったところだろうか。今の私の生活は、確かに人間関係は薄いけれども不快な同調圧力とは無縁。その点は心地よいなと思った。

次に、「ルール関係」と「フィーリング共有関係」。前者は「お互いに最低守らなければならないルールを基本に成立する関係」で、後者は同じ価値観を共有する。心の結びつきの強い関係。筆者はこの2種類の関係を区別し場面によって使い分けることが必要としたうえで、職場などにおいても「ルール関係」を基本にフィーリングの共有度を高めた方が組織が活性化するよね、と指摘している。

常々、所属しているサークルが私にとってもほかの構成員にとってもコミュニティとしてうまく機能していないなと感じてきたのだが、サークル内の人間関係が「ルール関係」でとどまっているからなのか、という考えに至った。サークルという集団に何を求めるかは人それぞれだろうが、私としては居場所となるような人間関係を期待していたし、他のメンバーも程度は違えど同じなのではないだろうか。だとすれば「フィーリング共有関係」が築かれることが望ましいと言える。確かに一部の人たちの間では価値観が十分に共有されているのかもしれないが、それを感知することができないくらいには私自身も誰ともそんなに親しくないし、全体としても個々人は独立している印象だ。一言でいうと、「アットホーム」には程遠い雰囲気ということである。そのため新歓においてはコミュニティとしての魅力を売り出すことができない。では他に何を売りにするか?活動内容と人の魅力、といったところか。しかし活動自体に疑問を感じてサークルから心が離れている同期が多い状態であるうえ、初対面の人に魅力が伝わりにくい(魅力がないとは言っていない)人たちばかりである。これで新歓が成功するわけはなかろう。

また、最後の筆者のメッセージが心に残った。「自分をすべて受け入れてくれる友達なんて探したってどこにもいないのだから、人はどんなに親しくなっても他者であるということを意識したうえで信頼関係を築くことができればいいよね。他者による絶対的な受容があり得ないからこそ、自己を表現することを恐れる必要はない。」これがタイトルの『友だち幻想』ということだ。

 (2016.5.28)