東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

祭りの後

心に渦巻く問題を、見て見ぬ振りをする習慣がついてきた。切実だから真正面から向き合うのは苦しいし、忘れないと日常生活を上手くこなせない。何より、他の人たちがこんな「青臭い」問題に手を煩わせずにすらっと生きているように見えるから、向き合うこと自体が痛々しく思える。でもきっと、わたしに見えないだけで、あの人も、あの子も、みんな実存に関わる問題を抱えていて、自分なりに対処しながら生きているはずだとも思う。


少し前までのわたしは、頭や感覚を鮮明にして、自分や実感を表現する仕方を手に入れようともがいていた。なのに、今はどうか?適応のために努力しようと言いながら、楽なものに逃げて、ぼんやりしているだけではないか?そんな風に適応したって、生きている実感は得られない。孤独や虚しさに蝕まれるだけだ。


ふとしたときに、身体に染み付いた受動性に気づいて悲しくなる。けれど、何かを言い切ってしまうのは怖い。