東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

逃げで甘え

「良い」ことも「成熟」も「普通」も、頭ではそうするのが普通で便利で有利だとわかっていても、納得というか、身体的にすっと了解するまで、しんどいものはしんどいし、嫌なものは嫌だ。そんなの甘えだわがままだと言ってしまうのは簡単だけれど、断罪したところで了解できるわけでもない。だから、どんなにしんどくても、こうありたいと思う姿に向けて、一歩ずつ苦しみながら進んで行くしかない、と今は思う。


身体的に了解して納得したわたしは、もはやその前のわたしとは違うのかもしれない。うっかりしていると、何か生命をも脅かすような「おかしな」「変な」ものを了解してしまうかもしれない。そうならないためにわたしは学ぶ。


普通とか良いとか成熟とかをいったんできるだけ根本的に疑いつつ、「わたし」はどうありたいのかを徹底的に考える。そして、苦しみながら動いてみる。そのための時間と環境が許されているのが今。学んで、考えて、動こう。今確実にわかるのはそれだけ。


たぶん、こんなことは「みんな」はそこまで考えなくてもすっとわかっちゃってるんだろうな。そこが「わたしの頭の中は全く価値がない」って思う理由。変なとこにつまずくことも含めて、もう仕方ないから、受け入れて「こうありたい」自分に向かって進んでいくしかないのだよ。


逃げの論理なのだろう。こうすべき、にとらわれない楽な方選び続けてたら、どうなってしまうのかっていう不安がある。他人任せで責任感のない子どもの考え方だけど、これも納得して了解しないとなおすの厳しいから。。。