『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子
わたしはこの本を読んで、苛立ちと怒りのようなものを覚えた。
それは何でだろう?としばらく気にかかっていて、作者のこのインタビューを読んでなんとなく答えが見えた。
https://sheishere.jp/interview/201709-miekokawakami/2/
なかったことになっていたはずのものを、明るみに引きずりだす。冬子はそういう作者の意思の成果としてわたしの目にとまるところに現れたようだ。
冬子にわたしは自分の一部を投影した。そしてわたしはその自分の一部がすごく嫌い。だからこんなに怒りや苛立ちを抱いた。なんで見ないようにしてたものを見せるの、って。そうやってひきずりだして、どうせ「みんな」と同じように責めたいだけなんでしょ?って。
冬子は多くを語らない。わたしの嫌いなわたしも多くを語らない。自分のこと、思ってること、感じてることを表現する言葉をまだ持っていない。ぎこちなくはあるけど、言葉を手に入れたのがこれを書いているわたし。わたしの嫌いなわたしは語らないままわたしの中に隠れていて、わたしがこの文章を書くのを黙って見つめている。
「語られないものは存在しないのと同じなのか」わたしの嫌いなわたしは、わたしにまで嫌われたまま、外に出ないで黙っている。わたしは存在しないのと同じなの?って怯えて寂しがっている。でも、確実にそこにいる。わたしには見えている。冬子に自分を投影するというやりかたで、言葉を持ったわたしの前に姿を現して、言葉を持った「強い」わたしに、怒りと苛立ちを置いていったから。
わたしは怒りでわたしの嫌いなわたしを守ろうとしたんじゃない。わたしが内面化している「みんな」という名の外からの目線、それが歪んでいることを知りながら、納得できず歪みを修正できないことへの苛立ちなのだ。
大丈夫、わたしの嫌いなわたしも、そこにいるの、わたしは知ってるよ。まだ時間はかかるけれど、あなたのことも愛せるように成長しよう。