東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

よくわからない


他人に興味なさそう


自分が人生の主人公だと思ってないよね


何考えてるのかわからなかった


怒らなさそうだよね


自分のことだという意識を持とうよ



人から言われた印象的な言葉を並べてみると、人から見たわたし、よくわからないんだろうなと思う。そして、人からみて、わたしがよくわからなくて人生に当事者意識がないような理由のひとつは、人と自分で考えて関わってこなかったからなのでは、と思った。


適切かどうかがわたしが行動を決めるときの大きな要素だけど、適切さに自分なりの基準があるわけではない。みんなの基準に合わせようとしている。人と関わるときもそう。でも、昔からそのみんなの適切さの基準が自分にはよく見えていないような気がしていて、探り探りで判断している。そのせいでどうしても消極的になるし、漠然とした不安がつきまとう。


20歳まではこの方針であたりさわりなく生きてきた。10歳の頃以来、家族以外の人と言い合いすらしたことがなかったし、トラブルに巻き込まれたこともない。それがあなたの良さだよ、と受け入れてもらってきたけれど、そろそろ方針転換をしたい。


ひとりの人と深く関わろうとするときには、みんなの基準に合わせる対応だけでは寂しいなと思ったから。ある人のためだけの関わり方をつくりたい、と強く思ったけれど、たぶん今までそうしようとしたことがなかったから、どうしたらいいのかわからなかった。


今も、大切な人たちと、みんなの基準だけを頼りに関わっているのではないかという不安がある。自分の基準で人と関わる方法を、誰か教えてほしいと思ってしまう。


だけど、もうわたしの外の基準はあてにしない。ひとつひとつの関係をわたしなりのやり方で大切に育てていく。めちゃくちゃでも仕方ないし、失敗して人を傷つけるかもしれない。それでも、責任を引き受けて、自分はどうするかというのを、精いっぱいの真心を込めて自分なりに考えて、つくっていきたい。