東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

学校とわたし①

最近、不登校の子どもや、学校外の教育に関わることが多くなった。よく、どうして不登校に興味を持ったのか?と聞かれ、いつも弟が不登校になったのがきっかけで、というとなんとなく納得してもらえるが、うまく説明できていないだけで、自分の中にも種がある。 


中学校からなんとなくずっと学校が嫌いだった。部活に仲の良い友達がいて居場所があって楽しかったから、そして勉強が得意で強みを発揮できたから、高校を卒業するまで6年間、通い続けることができたのだと思う。大学に入っていろいろな人の話を聞きながら、わたしはかなり「適応」していたんだなあと、昔の自分に感心することがある。  


弟は今では元気だが、学校に行けなくなった頃はかなりしんどそうだった。話を聞いていると、高校で弟が感じていた違和感と、わたしが感じていた違和感は似た種類のものだった。もちろん、苦痛度は違うけれど。  それに気づいたとき、違和感を持ちながら黙って高校に通い続けたのは、弟のような、同じような違和感を感じている人たちを苦しめることに加担していたのと同じなのではないかと思った。


あの違和感は、何なのか。なぜ、高校はたくさんの人たちを苦しめているのか。そんな問いが今のわたしとわたしの外を結ぶ接点となっている。