東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

学んだことと学んでいないこと

学んでいないこと
①学生の本分
勉強、まともにしていない。体系的な知識や思考力、表現力、語学力など全く身についていない。断片的なカリキュラムにも問題はあるが、制度や環境を活かして主体的に学ぶチャンスは山ほどあった。周囲と比べて自信を失い受動的になっていたのがよくなかった。受験勉強のようにインプットするだけではなく、アウトプットを意識して能動的な学びをしよう。
 
②人付き合い
確かに安定的な人間関係ができにくい環境だったが、作ろうという努力もしなかった。仲の良い先輩や後輩もいないし、大人の知り合いも皆無。連絡不精もいい加減にして、気の合いそうな人には自分からアプローチしよう。そんなに怖くないよ皆。人に頼る方法も覚えていかなくては。
 
③家事、自己管理能力
掃除と金銭管理がまともにできない。洗濯も料理もあまりしない。食事と睡眠と運動が全てまともでない。気分の浮き沈みが激しく、やるべきことを後回しにして後悔しがち。サボりぐせと責任感の欠如。意志だけでは改善できないのだけはわかるが、具体的にどのような対策をとれば良いかは模索中。
 
学んだこと
①自分について
 
②行動するしかないということ
「悩む暇があったら解決作を考えろ」を実践しないといけないとやっと思えてきた。できないけれどできるようにならなくてはいけないことは、あまり頭を使わなくてもできるような仕組みに落とし込もう。
家族が守ってくれる環境はもうすぐ終わり、今の状態にとどまって生きていくことはできない。社会も変化していて、上の世代のやり方を踏襲することもできない。自ら日々変化し続けるしかない。怖くても進むしかない、ということに気づいたから、あとは覚悟を決めて一歩踏み出すだけ。
 
 
 
と、ここまで書いてきて、私にとっての「成長」というのはどこかで聞いた「大人」の条件をひとつずつ受け容れられるかどうかジャッジしていくことのような気がしてきた。とすると、大人としての完成形は考えうる大人の定義を全て自らのものにした存在ということになる。
 
しかし、理想の大人の条件は、実際会ってきた数少ない大人の姿やネットと本で得た情報で構成されているものに過ぎず、概念的なものでしかない。
 
生きていくなかで必要に迫られて身につける素質は人それぞれで、その断片が集合的な大人の条件として見えているだけ、と考えると楽になる。それが最大公約数的なもので必ず自分のものにせねばならぬのだとしたら大人への道が果てしなさすぎて困るが、きっとそんなことはない。人間は勝手に成長するものと考えると、ただ変化を恐れず動き続けていればいいだけだ。
 
大人の条件はその人固有のものとはいえ、同じ社会に適応している人同士は似ることになる。しかしそれを集団で他人に押し付けることで凶器になってしまっているのも垣間見た。
 
 
社会への適応と非適応の間、がやっぱり青年期のテーマだという気がする。狭い社会のルールに盲目に従い幸せを享受してきた子供時代が終わり、自然には馴染めない他者の間で戸惑った結果なんとなくこのままいったら非適応を極められそうだな、という感覚を得たことによって、従順に社会に適応するだけではない選択肢がおぼろげに見えてきた。自己を環境に完全に溶かす方法ではない適応の仕方。
 
 
人とのつながりが大事だと多くの都会の大人が言うが、それについてもまだ納得していないから受け容れられない。今のところは、人間関係が苦手な人間を苦しめる言説としてなんとも言えない気分になる。これも逃げなのだろうか。人と関わるための努力として思い浮かべるのはSNSを使ったものだが、それはここ十数年の技術で容れ物が変わっただけで、本質的なものはもっと別のところにあると思う。その本質的なものが実感として掴めなくて困っている。
 
容れ物だけではなくて、人間関係の質も変化している気もする。今の大学生活で必要と実感するのは人と素早く打ち解けて薄く継続して人間関係を維持する力で、それには確かにSNSが役に立つ。私はこのやり方がわからなくて、怖くて挑戦もしないから経験値もたまらない。失敗してもいいから殻を破ってみよう。
 
ただ、一昔前まで及び田舎では人の移動が今の都会ほど激しくなく、閉鎖的な空間での限られた人とのうまい付き合いみたいなものが重視されてきたことを考えると、SNS的な人間関係に適応するのが難しいのはなんらおかしなことではないとも言える。時代の先端を突っ走る人間及びそれに憧れて行動を起こす若者が、出る杭として打たれるような環境で覆われていた時代が長かったのだ。今もそういう環境の方が多い気もするけれど。
 
視野の狭い平凡な若者一人が見ている世界などほんの一部で、それを元にした自分の意見を発信することがどうしても恥ずかしいと感じてしまう。しかし、批判を恐れていては何も生まれない。
 
とにかく自分がぽんこつクソ冷酷人間に思えて仕方ないが、そんなこと言うのは終わりにして外に目を向けるしかないのだ。周りの大切な人たちも外。全て外。
 
まとまりがなさすぎる文章になった。それぞれのテーマについてまた改めて書きたい。