東京日記

痛々しさをつめこむ+現実的になるためのメモ

都会人と田舎人

東京は人が多い。今住んでいる駅は都心まで電車で30分ほどかかる郊外なのだが、とにかく人が多いと感じる。地方なら確実にシャッター街になっているような規模と店の種類の商店街でも、閉まっている店は1つもないしチェーン店もたくさん入っている。土日は家族連れがたくさん公園にいて、ホームセンターも大盛況。地元では物心ついた頃から年々子どもが減り、店も閉まって行く様を目の当たりにしてきたので、ギャップに驚くばかりだ。つい最近、実家の近くの結婚式場が斎場になった。人口構成の変化を如実に反映しているようで、未来の街の様子はお察しだ。

地方の人口減少の一因は少子化と止まらない若者の都市への流出であるのだが、私自身も流出した1人で、将来的に地元に帰る気は全くない。職はない、愛着はない、街の未来に希望もない。我が家は近所付き合いも少なく、小さいころから学校以外地域に特に思い出はない。親もそこに根付いている訳ではなくただ住んで働いているという感じで地域に愛着はないようだ。

東京で生まれ育った友人が、地方へ旅行に行って「田舎には魅力がある、多くの人に行って欲しい」と言っていたり、地域活性化の活動に携わったりしているのを見るとなんとも言えない冷めた気分になるのだが、なぜだろうか。おそらく地方出身であるのに全く地方のことを考えなくなった自分自身への落胆と、都会人に田舎のことがわかるかよという、傲慢な冷やかしの目線である。

東京に引っ越してきた当初は地方と都会のギャップに驚き、事あるごとに両者を比べては都会の有利さを地方にも少しはもたらせないのかと義憤に駆られたりしたものだが、1年半経ってすっかりそんな気持ちもなくなった。最初は「地方」は自分の生まれ育った土地を意味していたが、時間の経過とともに愛着が薄れ、また将来に地元に住むという選択肢がほぼなくなったことによって「地方」が任意の土地を指すようになり、地方の話題に当事者性を持てなくなったのだろう。

そんな田舎人もどきの私が、数々の地方に実際に行き、ある種異文化からの目線でもって魅力を体感し、さらにそれを発信してゆく都会人の彼らを冷やかしの目で見るなどというのは、明らかに愚行である。暖かく応援しなくてはならない。しかし、複雑な気分は拭えない。私の故郷に住んだとしても魅力があると言えるのか?と試したいのかもしれない。自然や美味しい食材など、彼らが良く言うような一般的な田舎としての魅力は理解しているつもりだが、それ以外は何もない。本当に何もない。彼らと私、都会人と田舎人は、見ている世界が違うのであろう。